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SPACE FACTORY 2007

シリーズ4『夢の浮橋』~源氏物語より~
巻の三「悩める妻と悩ませる妻 ― 紫の上と女三の宮 ―」

会場
横浜 中山/なごみ邸

公演
2007年5月26日(土)/27日(日)
15:00開演

STAFF
池上 眞吾 [邦楽弦楽器]
木村 俊介 [津軽三味線・笛]
花柳 ゆかし [日本舞踊]
水木 佑歌 [日本舞踊]
おかもと りよ [アートディレクター]
広瀬 友美 [DMデザイン]

概要
 光源氏の生涯には数多くの女性達が登場しますが、その中で『妻』と呼べる女性はわずか三人だけといわれています。

 その一人である紫の上は、まだ子供の頃に光源氏に見初められ、強引に本邸二条院に引き取られて、一緒に暮らしながら彼の思い通りの理想の女性に育て上げられました。源氏は、元服と同時に迎えた正妻の葵の上が産後の肥立ちが悪く若くして亡くなったあとも、新たに妻を迎えようとはせず、紫の上を事実上の正妻として一番大切に扱っていました。

 紫の上は源氏の義母 藤壺の姪にあたりました。じつは、藤壺は源氏にとって誰にも代えがたい永遠の女性であり、また決して許されることのない恋の相手でもありました。源氏は密かに、藤壺の面影を紫の上に見ていたのです。

 源氏は、やがて紫の上を別邸六条院の中心の「春の御殿」に住まわせ、長く共に暮らしました。この時代の多くの結婚生活は、夫が妻の実家に通う形が普通でしたから、これはかなり特異なケースでしたが、物心ついたときから源氏を夫と聞かされ、彼と寝起きを共にしながら成長した紫の上にとっては、何の疑いや迷いを抱くこともなく、源氏を生涯唯一人の男性として満ち足りた夫婦生活を送っていたといえるでしょう。

 たしかに源氏の周りには常に何人もの女性が存在していましたが、紫の上にとっては、彼女の地位を脅かすほどの身分の高さや魅力を持ち合わせた女性は誰一人としていませんでした。光源氏の娘を産んだ明石の上に対してでさえ、紫の上はその娘を自分の養女にして宮中に入内させることで、彼女を競争者であることから退けたのでした。

 ところが、源氏との生活がすでに二十年を超え、三十歳も過ぎた紫の上に、思いもかけぬ強力なライバルが現れます。相手はわずか十四歳の皇女 女三の宮。先帝で源氏の兄にあたる朱雀院が出家に際し、愛娘を源氏の正妻に迎えて欲しいと望んだのです。源氏は持ち前の好き心もあり、兄のたっての願いにこれを承諾します。それもそのはず、女三の宮もまた、何とあの藤壺の姪だったのです。

 これを機に、紫の上の苦悩の日々が始まります。それまでは暗黙の了解であった正妻の座を、自分より遥かに年下の女三の宮に奪い取られてしまったのです。しかも相手はとても太刀打ちのできぬ高い身分の娘。紫の上はこの屈辱を受け入れる唯一の解決策として出家を強く望みますが、彼女を失いたくない源氏はどうしてもこれを聞き入れず、紫の上は辛い日を送ることとなります。

 一方、いくら類まれなる源氏の君とはいえ、親子ほど年の離れた男の妻に迎えられた女三の宮もまた、不幸な人生を辿ることになります。年齢の開きは如何ともし難く、円熟した源氏にはこの未成熟な小娘の物足りなさばかりが目につき、次第に気持ちも足も遠のいて行きます。

 しかし、これは女三の宮の資質に問題があったというよりは、彼女が源氏とは世代の異なる女性だったからに他なりません。彼女は、同世代の男性にとっては充分に魅力ある存在だったのです。その証拠に、女三の宮は源氏の親友の息子である、将来有望な貴公子の柏木をすっかり虜にします。柏木は七年もの間執拗に女三の宮に迫り続け、ついに彼女を我が物にします。女三の宮にしても、先帝の手前、表向きは粗末な扱いはされないものの、心の少しも通わぬ年の離れた夫より、自分を情熱的に愛し続けてくれる若者に心が動くのも無理からぬことでした。やがて女三の宮は柏木の子を身篭ってしまい、それが夫の源氏にも知られるところとなり、柏木は罪の重さに耐えきれず病気になって死んでしまいます。そして女三の宮も、夫の冷たい視線から逃れるために、やむなく父先帝にすがり出家することになります。

 紫の上は、出家を許されることもなく、やがて露が消え入るように亡くなります。源氏は紫の上の死に深く傷つき、彼女が自分にとっていかに大切な女性であったかに改めて思い至り、追慕の想いに浸る日々を送りながら、出家の準備を進めるのでした。


 紫の上と、女三の宮。
 方や、長い年月をかけ築き上げ、何びとにも立ち入ることのできない強い絆で結ばれていると信じていた夫婦愛が、たった一人の小娘の出現で、いとも易々と崩れ去り、しかもそのことに表立って声を荒げて立ち向かうこともプライドが許さず、何とか心の平静を保とうとじっと耐える中年の女性。

 また方や、年の差はあるものの、誰もが羨むほどの地位と名誉と容姿を持ち合わせた男の妻に迎えられながら、自らの若さゆえに約束された平穏な暮らしに飽き足りず、育ちのよい世間知らずで天真爛漫な無邪気さも手伝い、言い寄る若い男の誘いに乗りはかない恋に溺れる娘。

 しかし、若い娘は、夫の晩年に大きな汚点を残したばかりでなく、結局は恋人をも死に追いやり、すべてを失って初めて己の思慮の浅さに思い至り、後悔の日々を送ることになります。一方、安らかであるはずの晩年を突然現れた小娘に振り回されながらもじっと耐え続けた妻は、そんな状況の中でもなお夫を気遣い、やがて夫もそれに応え、結局は夫の愛がすべて己の身に振り注がれていたことを確信しながら最後の時を迎えるのでした。

 この世代の違う二人の女性の生き様やそれぞれの恋愛に対する姿勢は、けっして古典の物語の世界だけに止まるものではありません。現代の私達の周りでも、似たような人間模様がいくらも見られます。例えば、夫の不倫に悩む妻。年の離れた資産家と結婚はしたものの理解し合えず若い男に走ってしまう若妻など。紫の上と女三の宮、この二人女性は、今も昔も少しも違わぬ人間の煩悩の姿を映し出していると言えるでしょう。

 とかく光源氏の華やかな女性遍歴に目を奪われがちな源氏物語にあって、すでに老境に差しかかった源氏を描く『若菜』上下巻を中心に語られるこの二人の妻の物語は、作者の紫式部がじつに用意周到に練り上げた、源氏物語の核ともいえる部分です。老若二組の男女のそれぞれの立場での心の葛藤を細やかに描いており、源氏物語が重厚な長編小説として世界的に高い評価を受ける理由も、ここにあるといっても過言ではないでしょう。

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